気仙沼リアス・アーク美術館 ~「今」と「これから」を考える~


常設展示 東日本大震災の記録と津波の災害史


常設展示「東日本大震災の記録と津波の災害史」

 気仙沼のボランティア活動後、「リアス・アーク美術館」の見学をしています。そこでは、タイトルにも書きましたが、 「東日本大震災の記録と津波の災害史」という常設展示があります。震災直後の写真や 被災物が多く展示されており、その迫力に圧倒されます。
 展示品の脇に、その写真を撮られた方がそのときに思ったこと・考えたことなどが文章として添えられています。これらの文章は、多岐に亘るテーマに沿って書かれており、 またその内容はボランティア活動に携わる者として、また子を持つ親として、今を生きる一人として、「今」と「これから」の在り方を考えさせられる示唆に富んだものとなっております。
 以下に、これら文章の一部をご紹介いたします(リアス・アーク美術館様より転載許可を頂いております)。
 文章の内容に対する先入観を避けたいため、写真挿入やキーワードに対するハイライトなどはあえて控えております。これら文章をお読み頂き、被災地に対する支援のみならず、 読者皆様の身の回りにおける減災・防災について考えるきっかけになれば幸いです。




復興

 復興という言葉は「再び興ること、再び興すこと。一度衰えたものをふたたび盛んにすること」という意味である。
 束日本大震災が発生し、半年もたたない時期から復興という言葉は使われていた。そして被災地では当たり前のように「復興が遅れている、復興が進んでいない」 と語られ、被災地以外から訪れる人々は「思ったよりも復興していない」と語る。
 復興とは「一度衰えたものをふたたぴ盛んにすること」である。 2013 年、被災から2年の現在、復旧もできていない現在、復興などしているはずがない。震災以前と同じように、地域の全ての活動が盛んになり、 地域の全ての人々に心からの笑顔が戻って初めて、「あぁ、復興したのかな・・・」と、私たちは思えるのかもしれない。今、復興という言葉を私たちが使うとすれば、 「復興を願って、復興を目指して、復興を信じて」という使い方だろう。


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教育

 被災地における教育のあり方は今後変化していくことだろう。少なくとも震災以前と何も変わらないというわけにはいかない。
 たとえどんなに強固な壁を築こうとも、構造物だけで津波から人の命や地域の暮らし、地域の文化を守る事は難しいだろう。 人の命、地域の未来を守ることができる唯一のもの、それは教育に他ならない。
 この地で生きる以上、津波と縁を切ることはできない。津波とどう向き合い、どのように生きていけばよいのか、その生き方を、 私たちは学ばなければならない。そうしてそういう学びの場を、恒久的に維持していかなければならない。この地で生きるための教育が必要である。
 被災地の子供たちこそが、被災地の未来を支える唯一の力である。地域を深く愛し、再び興す力を身に着けた人間を育てていかなければならない。


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情報・・・新聞

 被災地で通常通り、新聞が配達されるようになったのは、早い場所でも約一週間後だった。 それ以前に目にした新聞もあったが、それらはいち早く被災地入りをした支援者等から提供されたものだった。
 震災直後から数ヶ月は各新聞社とも、被災地情報が一面を占めていたが、徐々にその内容は変わっていった。地元紙以外では 震災の話題も原発事故が中心となり、津波被災地の情報としては早くも復旧、復興を語り出し、震災発生から2 週間後には、 「明るい話題はないでしょうか」などと記者に尋ねられたりもした。
 新聞情報は最も信頼性が高いと一般に考えられている。確かに掲載されている情報はそうだろう。しかし、編集の結果、 紙面に載らない情報も数多く存在するはずだ。情報は選択されている。


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情報・・・言葉

 言葉は表現である。人間の内なる無形のものを、言葉という媒体によって表現しているのである。発せられた言葉は 単なる記号となり聞き手に届く。聞き手はその記号に、自分の経験や知識、価値観などから独自に意味を見出す。言葉は発する側と、受け取る側に 共有された経験や知識、価値観などが無ければ、その意味が大きく食い違う。「そんなつもりで言ったのではない!」、「そういう意味ではない!」 「言ってることがさっぱりわからない!」、そういう争いが必ず起こる。言葉とはそういうものだ。
 言いたいことの意味を、誤解なく相手に伝えたいと願うなら、相手の経験や知識、価値観などを、人となりから推し量るこどが必要だ。
 東日本大震災以降、被災地や被災者は、他の人々が想像も難しいような経験をし、その価値観も以前と同じではなくなった。被災した私たちの言葉は、 被災していない人々にはうまく伝わらない。また逆もしかりである。改めて、お互いが、お互いを知る努力が必要である。どちらか一方が努力するのではない。 お互いが分かり合おうとすることが必要だ。そうしなければ、私たちは共通の言葉を失うことになってしまう。


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記憶・・・覚える・忘れる

 震災の記憶を忘れてはならないと言うが、では震災の記憶とは具体的に何を指しているのか。記録された写真のことだろうか。 それとも被災者、死者、行方不明者の数、経済的被害額などのことだろうか。それとも「震災はまだ終わっていない」というイメージのことだろうか。
 「I will never forget = 私は絶対に忘れないだろう」「I remember = 私は覚えている」。この英語表現で用いられている二つの単語、 Forget(忘れる)、Remember(覚えている・思い出す)の意味は真逆である。では「震災の記憶を忘れてはならない」という場合はどちらの言葉を使うべきだろう。
 被災した私たちは「忘れない」のではなく「忘れられない」のである。しかし被災者の多くは「忘れたい」と願い、「思い出したくない」と言う。つまり覚えているのだ。 では被災者以外はどうなのだろう。まず東日本大震災がどんなものだったのか、きちんと覚えているだろうか。
 覚えていないことは忘れようがない。そもそも忘れる記憶を持っていないのだから。また、震災以降に生まれた者は、当然震災の記憶を持っていない。 まずは覚えてほしい。記憶を獲得してほしい。


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被災地・・・祈り

 「祈る」という行為は素晴らしいことだ。どんなに努力をしても、何も変えることができず、 「やれることは全てやりつくした」と、「あとは祈るしかない・・・」、そういうことならば「祈る」という行為は素晴らしい。 自らが無力であることを悟り、それでもどうにかしたいという折れない心が「祈り」となる。私たちは全てやりつくしただろうか。
 まだやれること、やるべきことがたくさんあるのではないか。まだ祈るタイミングではない。まだやれる。


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